new days.

マルチビジネスを論破するビジネスがしたい。
ビジネスにならなくてもいいのだけど、論破してみたいし、できそうだなと。
来週の新潟呑み会はそんな話題もしてみようかなと考えてます。
(たぶん忘れているので、呑み会参加者はその話題振ってください)

否定はしてはいけないなあとは思う。自戒。
そのヒトたちはそれが「美しい」と思って言葉を選んでいるんだろうから。
そこに、その背景に物言いはしてはいけないなあ、と。

でもさ、
俺の背景に、そのヒトたちが踏み込むのも、同時に自分は嫌いなので。
見合いもできずに結婚させるような、言葉の選び方は私的には嫌なんだ。
(直喩を避けるための例えなので、もし気分を害したヒトがいたらスミマセン)

だから、土足で来られたら、けっこうそういう時は
短気と化して本気で怒ります。
で、顔は笑いながら、論破してやろうと逆に燃えます。
宗教の勧誘とか、マルチと言われるものとか。
両者はけっこう共通項があって、瞬間的に分かることが少なくないです。
あれってキーワードなんだろうなあ。マニュアル?

俺が個人的に思うのは、
その言葉の選び方は何か借り物だなあと感じてしまっていて。
何とも言いがたい、”浅い感”をそこで感じてしまうんです。
いやいや、否定はしてないんですよ。
美しいと信じるものを信じることは間違ってないよと思います。
その姿ごと美しいなあ、強いなあとも思ったりします。

ただ、他人の自分にそれをあてがおうというのはまったくの見当違いで。
その時の言葉の使い方も、こっちに合わせられずにいるタイミングの早さも、
そのモノに対する愛情、愛着も、
畑の野菜を自分たちが眺めて愛して、
怒ったり泣いたり一緒に暮らして育てて食べて循環させているから、
「浅いなあ」って感じてしまうんです。

俺の唯一神は、酒の神であるところのバッカスさん(うろ覚え)。
ナリワイは、「農」と表現。
あとは何も足さないし、加える気もないです。
おもしろいと思ったものは随時、いいとこ取りで切ったり貼ったりはします。
金はあいにく無いです。
否定はしないです、むしろその浅さの奥や背景の話は聴いてみたい。

で、背景によっては、
俺の「農」的話の方がむしろその彼彼女には善いんじゃないかと思ったりもするので、
今度はこっちが”洗農”します。

農業っておもしろいよ。
瞳孔開きっぱなし。
心臓が高鳴ります。
青春、漂流。


* * *


畑に行きます。
今日も一日頑張ろう。
お昼はトマトとかぐらなんばんと茄子でパスタをつくろう。
産地直喰。

投稿日:2009.07.05
投稿者:straightreさん
掲載ブログ:hands across the Japan
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