
そのヒトの「美しい」について。
先週だったか、お昼に手抜き弁当をつつきながら、NHKの番組を眺めていたら、町工場を取材していて、
そこの職人さんが、作業場のことを指して
「”舞台”、とうちらは呼んでいるんです」と話されていて、
弁当(手抜き)つつく手を休めて、しばし感動。
「舞台」って、自分の立つ場所を呼べるだろうか。
敬意を込めて、愛して、やまずに。
考えてみたら、なぜだか、なんだかふと涙が出そうなほどになって、
午後から、「舞台、舞台」って、畑でえんえんと独りごちた。
小作人は畑で舞うのかな。
自分は、
自分の手がつくるものは、畑で舞えるのかな。
農業をする。
農業をしたい上で、いちばん大切なのは感性だと思う。
抽象的だけど、そう信じている。
信じて、やまない。
だから、好きな歌を繰り返し聞こうと思うし、
好きな人と酒も呑むし、話したいことがたくさんあるし、
若者にも刺激をもらいたいし、
絵や写真を見てはいちいち揺さぶられたり、
夕陽や雲を見ては、そこに何かを重ね見たり、
過去を振り返って美化したり、落ち込んだり、ニヤリとしたり、
この先も悪さだってするんだと思う。
日々、理想と現実の壁に頭ぶつけまくって、イライラもしている。
この頃に想うのは、
要は、そのヒトが、
何を「美しい」と感じるかだなあ、ってもう永いことずーっとそのことばかり考えていて。
言葉づかいだって、容姿だって、取り組み方だって、
買物したり、酒呑んだりするときに無性に好む肴だって、
その個人が何を「美しい」と感じるかなんだなあとしみじみ考え続けていて。
考えて、積み重ねては、またばらばらと崩して一から考え直してみたり。
何かをふっ散らかしてでも優先したいことがあったり、
仕事さぼって道草してみたり、
明日のこともよく考えずに、会いたかったヒトと呑んだり、
風呂で一人涙したり、
それが嬉し涙なんだか悔し涙なんだか、よく自分でもわからなかったり、
こんちくしょーって帰りの車の中で打ちのめされながら、でもまた起きて畑に行ったり、
結局、そのヒトが「美しい」と想うことを、したいんだと思う。
なにかを食べて、「美味い!」と思える瞬間。
その一瞬の味覚は、
舞台や写真絵画を見て「美しい」と感じるのに似ているんじゃないだろうか。
味覚にとっての美しさ。
そういう野菜をいつかつくれたらいいなあと想う。
視覚を味覚が凌駕する瞬間だってある。
たとえば、クラシックには永く聴かれ続けるだけの背景があるのだと思うし、
レコードにはレコードの音色の美しさがあって、
デジタルでは出せない、ニンゲンの耳に心地良い音域が
アナログ版には吹き込まれているらしい。
『海の上のピアニスト』の録音シーンを彷彿。
最近、暑さ湿度のせいか、異なるものに苛々と反応しそうになる自分がいて、
その自分を少しだけ、俯瞰しようと目をつぶって、高みへ高みへ上昇して、
上から「点」になった自分を見下ろす。
居ても居なくても変わらないようなゴマ粒みたいなヒト。自分。
吹けば飛ぶような。吐いて簡単に捨てられるようなゴマ粒然。
そうしてなんとか落ち着けてなだめてみては、
そのストレッサーの言動そのものに対して、
「そのヒトは、それが”美しい”と思うからなんだな」と
無茶にでも解釈するようにしている。
まだ成功率は低いけど。
酒も、ロックンロールも、宗教も、農も、結婚も、ワガママも、言葉の選び方だって、
要は、それをそのヒトが「美しい」と想ってきっとやっていることなんだ。
だから、その彼彼女の「美し目線」に、やあやあと自分が干渉してはいけない。
その人生なりの背景があるからこその目線なのだ。
ヒトが美しいと想うモノゴトを、もう少し尊敬するヒトになりたい。
* * *
本日モ二日酔イ。
重。
日曜日。
暑さで新人マツ君、ダウン。出勤するも返される。
代わりに、水やり当番の昨日月曜日。
負けじと自分の身体もまたよろよろしてきたので、帰りに温泉によくつからせる。
鼻歌など唄う。
そして呑んだ雨の夜の酒。
もう少し時間が欲しい。
もう仕方ないのに、切実に想う。
ヒトの背中を笑って叩けるようで居たい。
ニセの明るさでもいいから、別れ際はそう演じたい。
悲しみで花が咲くものか。
<全てを遠く追い出しては いつもの言葉で話すだろう
今も何かを君に伝えては 何かを忘れていくのだろう
全てを欲しがるこの僕を代わりに残していこう> (『欲望』)
投稿日:2009.06.25
投稿者:straightreさん
掲載ブログ:hands across the Japan
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