
【栃尾城/大手道・千人溜り編】上杉謙信公が戦国デビューを飾った城
【栃尾城/大手道・千人溜り編】上杉謙信公が戦国デビューを飾った城2007.12.08/2009.06.03登城 謙信公の青年期【長尾景虎】14歳の戦国デビューの地※ 09.06.03登城時の本丸郭にある祠と城址の木碑です。
栃尾城( 別名:鶴翼城 )は、新潟県長岡市栃尾地区( 旧栃尾市 )に存在した城で
標高228mの鶴城山に築かれた戦国時代の典型的な要塞型の山城で、城下から本丸までは大手道
ルートで所要時間 約20〜30分位です。創設年代は不明だが、室町時代初期〜中期と伝えられ
馬蹄型の郭を構成する堅城です。
本庄氏の城であり上杉謙信が幼年〜青年期(14歳〜19歳)を過ごし、
謙信の父・長尾為景が死去した後跡目争いが起こった時の初陣の地です。
府中春日山の「林泉寺」に僧侶として一生涯暮らそうと決心していた虎千代(謙信公)でしたが
越後の動乱時代に、父(為景)の死去をきっかけに、景虎と改名し、天文12年(1543年)
遂に越後平定のために立ち上がり、栃尾城城主となったのであります。
その時まで、栃尾城城主は、長尾家(後の上杉家)家臣の「本庄実乃(さねより)」で
ありましたが、「景虎」の才を見抜いて、城主として迎えて自身は景虎の側近となります。
この武将が、若き謙信公に、かなりの影響を与えていくのは言うまでもありません。
そして若輩ものの栃尾城主に勝機をみつけて攻め込んで来た栃尾隣接の「三条軍」を一蹴し
この栃尾を初舞台に、戦国時代の歴史の中にデビューしたのです。
この時、長尾景虎14歳でありました。
謙信公死後の≪御館の乱≫では、「実乃」の子で当時の栃尾城城主「本庄秀綱(ひでつな)」は、
“上杉景虎”方につき、三条城の「神余親綱」らと共に“上杉景勝”に抵抗するが、
天正8年(1580年)4月22日に栃尾城は落城し「本庄秀綱」は、会津方面へ逃亡します。
景虎の幼少期レポート【春日山城/林泉寺編】は、こちらへ
http://blogs.yahoo.co.jp/kagetora_nagao2007/12418644.html
【栃尾城/狼煙台・本丸編】のレポートは、こちらへ
http://blogs.yahoo.co.jp/kagetora_nagao2007/18042005.html
栃尾城城郭概略図・・・今回は右側「西谷川」側のⓅから本丸までのレポートです。
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栃尾の観光パンフからの栃尾城マップです。
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天然外堀の西谷川と登城口です。今回は、太神宮から登城しました。
登城口の看板です。
急な斜面を上っていくと先ず石動神社があり、そこから更に急坂階段です。
後藤曲輪跡と大手口の諏訪神社からの城道との交差点。ここから正式に大手道ですね。
※ 諏訪神社の大手口から登城すると金井曲輪があるようです。
中腹まで来ると、騎馬隊の練習場の“馬場跡”があります。2900?あるそうです。
※ 馬場郭と千人溜り郭の間には、大規模な空堀があります。
大空壕の内側には“千人溜り”と言う広大な演習場があります。ここは、3000?の広さ!
※ この辺りから城下を見たら、秋葉神社と美術館が見えました。(本丸でも見えます。)
千人溜りから本丸への城道です。千人溜りを過ぎた辺りに、水場と金銘泉があります。
目の前に大きな崖が遮るように現れます。目指す本丸はこの上だ!
※ 食い違いの城道を経て、何かの郭を進みと本丸と二の丸の交差点に着きます。
二の丸跡です。これは09.06.03撮影の二の丸です。
※ 銀銘泉かどうかは判りませんが、地図上では、この位置らしいです。
本丸への城道です。本丸眼下には、金銘泉付近からの崖の下の城道が見えます。
※ 上から攻撃すれば、どんな強敵も一網打尽ですね。。。
栃尾城本丸の祠です。
帯郭状になっている本丸郭です。眼下は、眺めが良いですよ!
※ 若き謙信公と同じ景色を眺めていると思うと感無量でございました。。。
本丸にある鐘です。良い響きでした。
本丸を眺める栃尾城の遠景です。
≪ ちょいスタTime ≫ ☆☆☆ 上杉謙信公プロフィール ☆☆☆( フリー百科事典『 Wikipedia 』より抜粋し、源さんがアレンジ! )上杉 謙信(うえすぎ けんしん)は、戦国時代における越後の大名。享禄3年1月21日(1530年2月18日)上杉氏の下で越後の守護代を務めた長尾氏の四男(または三男)として生まれます。主君であった「上杉定実」の正妻の甥にあたります。兄である「晴景」の養子となって長尾氏の家督を継ぎます。のちに関東管領上杉憲政から上杉氏の家督を譲られ、上杉政虎と名を変え上杉氏が世襲する関東管領に任命され、周辺の武田信玄、北条氏康、織田信長らと合戦を繰り広げていきます。自ら毘沙門天の転生であると信じていたとされ、後世、「越後の虎」とも「越後の龍」とも呼ばれ信義と仁愛に生きた孤高の天才武将【上杉謙信公】は、野戦では、生涯不敗の戦国武将であります。死没は、旧暦の天正6年3月13日(1578年4月19日)改名として、幼少期:長尾虎千代元服後(越後国主後):長尾景虎関東管領職後:上杉政虎上洛を重ねる頃:上杉輝虎(藤原輝虎)悟りを開き:不識庵謙信(上杉謙信)と名を変えていきます。酒をこよなく愛したが女人を愛さず、もし奥さんをめとって酒を控えめにしていたら、越後が天下を取ったかも知れない。--------------------------------------------------------------------------------------≪ 長尾景虎戦国デビューの概要 ≫永正7年(1510)景虎の父「長尾為景」は、当時の関東管領:上杉顕定を倒し、事実上越後国主の実権を掌握します。虎千代(景虎)は、春日山城下の林泉寺に入門して住職の天室光育の教えを受けたとされ、実父の「為景」と仲が良くなかったため、「為景」から避けられる形で寺に入れられたこととされています。天文12年(1543年)8月15日に元服して長尾景虎と名乗っています。天文5(1536)年に為景は嫡子「晴景」に家督を譲り、天文12(1543)年十二月に死去します。しかし「晴景」政権は、長くは続かない事は誰が見ても明らかで「晴景」には武将としての勇敢さや人心を掌握していくだけの器が無かったのです。ただ他を出し抜く程、力のある者がおらず、皆、口には出さずとも機会があれば守護代の地位を狙っていた時代です。そんな中・・・翌年、早くも離反者が現れます。父「為景」の兄の子であり、当時の三条城城主「長尾俊景」の叛乱です。長尾家は代々三条にいて、為景の春日長尾家に対し「三条長尾家」と言われています。このように、越後国内の国人衆らの叛乱を鎮圧できずに居た「晴景」は当時、春日山城下の林泉寺にいた弟の虎千代(長尾景虎、のちの上杉謙信公)を還俗させ栃尾城に配置します。謙信公は、この栃尾城下で、敵対する三条城主・長尾俊景らの攻撃を退けたと言われています。この一連の栃尾城付近での叛乱鎮圧戦が、当時14歳の景虎の初陣です。この頃は、越後きっての軍師である宇佐美定行(定満)の元で修行していたとも伝えられています。景虎は、その後も黒滝城の黒田秀忠の謀反討伐などで武勇を示し、揚北衆や越後中郡の諸将の支持を得ます。これに危機感を抱いた兄「晴景」は「景虎」討伐軍を発しますが、「景虎」は、米山合戦で大勝し春日山城下に迫ります。この内紛を憂いた当時の守護「上杉定実」が両者を調停し、天文17年(1548)、景虎は晴景の養子となって守護代長尾家を嗣ぐ事となり、栃尾城から春日山城に移ったのです。越後守護代になったこの時、景虎19歳です。謙信公の治世下では、栃尾城城主「本庄実乃」は、春日山城下に移り、栃尾城には、本庄玖介、宇野左馬充が栃尾城代として配備され、「栃尾衆」が編成されます。天正3(1575)年には、栃尾衆は計240名の軍役を負っています。2年後の天文19年(1550年)には、景虎を守護代に推した越後守護「上杉定実」が後継者を遺さずに死去したため、将軍・足利義輝は「長尾景虎」に越後国主の地位を認めます。越後国主(守護)になったこの時、景虎21歳です。しかし、同年、一族の坂戸城主・長尾政景(上田長尾家で後の謙信公の養子:上杉景勝の父)が「景虎」の家督相続に不満を持って反乱を起こしますが、景虎は、翌年天文20年(1551年)に鎮圧しています。こうして越後の平定と共に、景虎の激動の青年期が過ぎていきます。
景虎の幼少期レポート【春日山城/林泉寺編】は、こちらへ
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栃尾城跡へのアクセスは、下をクリックして下さい。
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=37.46911194&lon=138.99122611&sc=2&mode=map&type=scroll
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【 越後上杉家ゆかりの古城レポート 】
http://www.geocities.jp/gengorouhouse/castle-top.html
投稿日:2009.06.13
投稿者:山城屋源吾朗さん
掲載ブログ:越後上杉毘沙門堂 by げんごろうハウス
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