【坂戸城/実城編】景勝と兼続の生誕地で≪上田長尾氏≫の歴代居城

【坂戸城/実城編】長尾上杉氏(越後上杉)を支えた重鎮≪上田長尾氏≫の歴代居城※「上杉景勝」と「直江兼続」の生誕の地でもあります。
2009.05.04登城 上田長尾氏の歴代居城【 坂戸城 】


坂戸城(さかとじょう)は、新潟県南魚沼市に存在した山城で

本丸の有る坂戸山頂は、標高634mで 登城まで 約60分?のところ「源隊員」は1時間半!

我が愛犬「景虎」のお供だったので、時間がかかり過ぎ申した。(言い訳・・・)

2009年NHK大河ドラマ「天地人」での戦国武将「上杉景勝」「直江兼続」が生まれ育った

坂戸(現在の南魚沼市六日町)は、南魚沼(上田庄)の中心地として中世以来、栄え、

【坂戸城】は、六日町の街を望んでそびえる「坂戸山山頂」を中心に築かれた強固な堅城です。

中世越後の中心地・府中春日山から関東に向かう場合は、必ずこの坂戸を経由して

塩沢・湯沢を通って、三国峠を越えて上野国(群馬県)に入りました。

また、魚野川も利用し、坂戸城下の物資を陸揚げしていました。当時から越後・上野間の交通は

頻繁で、交通の要衝でもあり、南魚沼には「上田銀山」があって、豊かな土地であったようです。

本記事は、登城口から実城までの間のレポートといたします。

【坂戸城/一本杉編】のレポートは、こちらへ
http://blogs.yahoo.co.jp/kagetora_nagao2007/12358135.html

【坂戸城/御館石垣編】のレポートは、こちらへ
http://blogs.yahoo.co.jp/kagetora_nagao2007/17203775.html

坂戸城城郭概略図です。今回は、薬師尾根コースの〜実城までのレポートです。
※ クリックして大きくしてご覧下さい。
オリジナルのサイズの画像を見る場合はクリックしてください。" id=at_img1723737314>

今年はブームで車を止められませんが、通常の駐車場にある城跡説明図
※ 60分ですか〜!さあ〜攻め入るぞ〜!


薬師尾根登城口から少し行くと神社があります。無事の登城を祈願!
※ 先ず出迎えるのは、なだらかなような?キツイような?だらだら斜面を一気に駆け上がります。
赤い鳥居の神社でもう一度祈願するとクマバチが実城まで道案内をしてくれますよ(笑)


薬師尾根の一本杉案内木碑のところに有る城郭外略図です。
※ クリックして大きくしてご覧下さい。まだ登城は始まったばかりですね(笑)
オリジナルのサイズの画像を見る場合はクリックしてください。" id=at_img1723737317>

御居間屋敷跡案内と一本杉案内の木碑をみながら登城。もう既に疲労困憊!
※ 『あと少しだ』と思った瞬間、目の前に「五合目」の碑が・・・まだ半分!ギョエ〜〜〜!!!


あれから何時間過ぎたのだろう?気が付くと実城が観えてきた。
※ ひたすら、我が殿[景虎様]と大奥[ログママ殿]と共に登城、遂に9合目でござる。


最後の鎖仕掛けの城道を攻略すれば実城でござる。9合目付近からは堀切もありました。
本丸実城には、富士権現様が祀られていました。先ずはお参りです。
※ 麓の神社から道案内をしてくれたクマバチは、まだいます。


坂戸城登城攻略でございます。まさに標高634mの越後一の堅城でございました。
※ これでは、北条軍が4万の大軍で押し寄せて来ても大丈夫〜!でも反対に、兵糧攻めには?


実城からの城下で魚沼平野側です。
※ 『わしゃ〜こんなところへは来とうはなかった〜!』の雲洞庵も眼下に観えますね。


実城の石碑です。この写真を撮るため!この石碑が源さんを呼んでいたんです。


本丸郭の搦め手側の「八海山」の勇姿です。


もう一方の方向(南側)には、巻機山があり、小城・大城があります。
※ ここのレポートは後日にしますね。


坂戸城の本丸実城の石垣!偶然出合ったブログ仲間の「里山さん」に教えてもらいました。
※ 麓の御館の石垣は、上杉氏が会津移封後の堀氏のものなので、この実城の石垣は感激です。
こちらは搦め手側で、人が休んでいる辺りと石垣の下は、帯郭群になっています。


今回のレポートは、実城までです。近日中?に、次回は小城・大城編と題してレポートします!!!

≪ ちょいスタTime ≫ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などの文献から抜粋し源さんがアレンジ-----------------------------------------------------------------------------------------【上田氏について・・・】もともと、長尾氏は「桓武平氏」の流れを汲む「鎌倉氏」の一族であり、長尾の家名は「鎌倉景弘」が、相模国鎌倉郡長尾庄(ながおのしょう)(現在の横浜市栄区長尾台町周辺)に住んで「長尾次郎(ながおじろう)」と称したことに始まリで坂東八平氏(ばんどうはちへいし)(坂東=関東に住み着いた八つの桓武平氏の流れ)の一つに数えられています。源頼朝の挙兵時は平家側に付きますが、平家滅亡後は同族・三浦氏の配下となり、宝治合戦(執権北条氏と有力御家人三浦氏の対立)で長尾氏一族がほぼ全滅・没落してしまいます。長尾家のわずかな生き残りは、鎌倉時代末期から関東へ入部した上杉氏に仕え、その生き残りの中に「長尾景忠(ながお かげただ)」なる武士が居て、長尾氏は鎌倉時代において非御家人の立場であったにも関わらず、景忠の実子「長尾景基」が上杉氏との婚姻関係や養子縁組によって、家中での地位を上げ上杉家臣筆頭格となっていきます。その後も、長尾氏は上杉氏との婚姻を繰り返し外戚関係を強化し、上杉氏が関東管領として関東・越後に勢力を広げると、その”守護代“として各地に諸家を分立させ繁栄していくのです。分立した長尾家には、下記があります。《白井・総社長尾家》1.白井(群馬県渋川市)を本拠地とする白井長尾家2.総社(群馬県前橋市)を本拠地とする総社長尾家この両家は、【山内上杉家】家宰職と上野守護代を交代に務めますが、謙信公が上杉家を継承すると越後長尾家に組します。その後、謙信公死去後に信長軍の滝川一益に仕え、最終的には、越後に入って上杉景勝に仕えます。《鎌倉・足利長尾氏》景忠の一族で養子の景直の子「長尾満景」が山内上杉家の家宰となり、鎌倉に居住して勢力をもっていましたが、≪上杉禅秀の乱≫(前関東管領である上杉氏憲(禅秀)が、その後の人事で反乱を起こした争い)で戦死してから家宰職を白井・総社長尾家に奪われて衰えていきます。《越後長尾氏》景忠の一族(弟とも言われる)で、養子として景忠から越後守護代職を譲られた長尾景恒(長尾景廉とも言われる)を祖とする家で、景恒の子のときに、越後長尾氏は、1.蒲原三条を本拠の三条長尾氏(府内長尾氏)2.長岡本拠の古志長尾氏3.魚沼本拠の上田長尾氏の3家に分かれました。中でも三条長尾家は、越後守護を世襲していた山内上杉氏の家宰で、長尾本家として、越後守護代職を世襲し、越後府中に居住したため、この家を府中(府内)長尾家とも呼びます。謙信公が上杉の姓を名乗り、越後上杉氏を再興した後は、越後上杉氏を長尾上杉氏とも呼びます。ちなみに府中長尾氏の初代は「長尾高景」です。---------------------------------------------------------------------------------------【上田長尾氏と坂戸城・・・】上田長尾氏は、長尾本家の能景・為景・晴景・景虎(後の上杉謙信)を支える一門の重鎮で、【坂戸城】で、上田庄一帯を支配していました。上田長尾氏は、戦乱の中で坂戸を守りぬき、その過程で坂戸山頂一帯に今も残る規模での城を築き上げます。戦国期においては、守護代「長尾為景」による新守護擁立(永正の乱)に加担しますが、その後対立関係に陥ります。しかし為景の死没直前に、長尾政景は、謙信公の姉(後の仙桃院)を妻とし、政情は安定して行きます。2人の間には義景(早世)、顕景(後の上杉景勝)と娘2人が生まれます。上杉謙信公が活躍した頃の上田長尾家の当主は、姉の夫「長尾政景」ですが、政情安定に向かっているとは言え、謙信公の守護代継承に反するなど、ゴタゴタが続きます。そして、、、永禄7年(1564)に、、、長尾政景が悲運の水死を遂げる(暗殺説が強い)と、仙桃院と景勝は謙信の招きで春日山城に移り住みますが、【坂戸城】は依然、景勝の「本拠地」であり、謙信公没後に景勝が上杉景虎と上杉家家督を争った「御館の乱」に際しては、春日山城に籠もる景勝を上田長尾氏の譜代である五十騎衆が支え、春日山城と坂戸城との連絡線の維持が景勝方の急務となり坂戸城の大規模な改修をします。「御館の乱」の後、上田長尾氏の譜代家臣の多くは春日山城に移り、坂戸には城番が置かれます。しかし、関東との交通の要衝を押さえる坂戸城の重要性は変らず、天正10年に上野(群馬県)に侵攻した織田軍への備え、あるいは天正18年の豊臣秀吉の北条氏征伐など越後と関東の間に緊張が走るたびに、【坂戸城】は、第一線の城としてその使命を担ったのであります。
【坂戸城/一本杉編】のレポートは、こちらへ
http://blogs.yahoo.co.jp/kagetora_nagao2007/12358135.html

【坂戸城/御館石垣編】のレポートは、こちらへ
http://blogs.yahoo.co.jp/kagetora_nagao2007/17203775.html

坂戸城へのアクセス地図は、下記をクリックしてみて下さい。
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=37.05591363&lon=138.89963777&sc=4&mode=map&type=scroll

他の古城探検レポートの一覧は、こちらからです。他の城探検も見て下さいね。
【 越後上杉家ゆかりの古城レポート 】
http://www.geocities.jp/gengorouhouse/castle-top.html

投稿日:2009.06.13
投稿者:山城屋源吾朗さん
掲載ブログ:越後上杉毘沙門堂 by げんごろうハウス
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